報告書を届けてから三日。
その間、日番谷は藍染には会っておらず、忙しいの一言で夜も共にしていない。
隊長は忙しい。
そう自分に言い聞かせる日々。
本日、五番隊は現世へと虚討伐に出立。市丸率いる席官三名が門を開き降り立った。
「一瞬の余所見もあかんで」
「はい」
席官は日番谷を含め全員が上位に着くもの。
討伐なんてかなりの数をこなし不安は少ない。それでも何が起こるか分からないのが討伐。市丸は全員に目を配り、精神を研ぎ澄ます。
「日番谷はん?」
「……」
廊下で会った日から日番谷を見るのは初めて。あの日と変わらず、どこか晴れない表情の少年。今も呼びかけても反応は無く、今回の出立の唯一の不安事。
「……戻る?」
「えっ…」
「そんな状態で居られても迷惑や」
「すいません。大丈夫です」
そう?
市丸は溜息を一つ吐き、ポンポン。下を向く少年の頭へ大きな手を落とす。
「日番谷はんに怪我させたら藍染隊長に怒られてまうな」
「そんな……」
そんな事………無い。
あの人は俺の事、なんとも思ってないから。
「せやから僕が守ったる」
「え?」
「藍染隊長が側に居ない時は、僕が日番谷はんを守る」
真剣に。
それでも穏やかな表情で少年を見つめる紅い眸。
唐突な台詞に返事なんて思いつかず、日番谷はぎこちなく背を向け斬魄刀を鞘より抜いた。
忘れてはいけない。
今は討伐真っ最中。
俄かに空間が揺らぎ、待ちに待った虚軍の御出座し。
「ほな、行くでっ……!」
各々斬魄刀を解放して、徐々に虚の数は減っていった。
残数の確認をしたせいか、何故か張り詰めていた緊張が薄れる。
その時、ふと過るあの人の顔。
と同時に、先程のあの笑顔。
冷たくされて、ポッカリ空いた心の隙間。
守るといわれて、溢れる程に満たされた心。
俺は何を考えているんだ?
何を求めているんだ?
「―――っ日番谷はんッ!!」
声がした。
意識を戻せば、目の前に虚の姿。だが、そいつはたった今俺が昇華した所で。
意識の散漫。
その通りだろう。
背後にまで気が回っていなかった。
慌てて体制を整えるも間に合わず、あと少しで虚の爪が自身に振り下ろされる。
ズシャッッ――!!
嫌な音がした。
顔面に降り注ぐ鮮血。
痛みは無い。
瞬歩で俺の前に現れた影に救われた。
そこには俺の楯となった市丸副隊長の姿。
爪により抉られた片腕からダクダクと血が滴り落ちる。
「イタタ、僕動けへんわ。日番谷はん早ぉコイツ切ったってな」
「あ、はいっ」
とても間の抜けた声だった。兎に角、俺は必死でその虚を切った。
瞬く間に群は無くなり、怪我人一人で討伐は終了した。
「すいませんでしたっ!」
深く頭を下げて、日番谷は市丸に謝罪する。
全ては俺の責任。考え事さえしなければ完璧に終わっていた討伐。
許される筈は無いけど、精一杯の気持ちで頭を下げる。
「なんで謝るん?討伐に怪我は付き物や。気にせんでええよ」
「でもっ」
「あの虚倒したんは日番谷はんや。僕は邪魔しに入っただけ」
「ちが――っっ」
「違わへん。それよかはよ戻ろ。この血止めへんと貧血で倒れてまうわ」
ヘラヘラ。
あの笑顔が俺を見つめる。
何を言っても治療が先決。俺達は足早に尸魂界へと戻って行った。
無事戻って。
市丸は一人救護室へと向かい歩いていた。
「俺も付いて行きますっ!」
日番谷は慌てて後を追い、後ろに付く。残りの席官は報告書の準備に隊舎へと帰って行った。
「日番谷はん、なにか悩んではるの?」
「え?」
「言いたく無いんやったらええんよ。ただ最近元気ない思ってな」
救護室で手当てを受けながら、市丸は落ち込みに肩を落とす少年に問いかけた。
「……藍染隊長は…忙しいんですよね」
「せやね。ここ最近更に書類が増えてきてたからなぁ」
「そうですか…」
やはり暗い表情。
「喧嘩?」
「いえ…そうじゃないんですが」
「今日で一通りの執務は終わる筈や。夜にでも様子見に行ったらどう?」
その言葉を言った途端、少年の眸に輝きが戻った。キラキラと言わなくても伝わるほどの喜びに満ちた表情。市丸はなんとなく、日番谷の暗かった理由が分かった気がした。
「寂しかったよ〜って抱き付いたれ」
「いやっそんなっ」
「あはは。藍染隊長も、僕もだよ〜って縋ってくるで」
「〜〜ッ」
漸く戻った笑顔。
結局、この少年に笑顔を与えるのはあの人だけ。
「さ、夜の為にも報告書早う仕上げんとな」
「はいっ」
救護室を出た二人。
ここは丁度、互いの部屋の分かれ道。
「市丸副隊長、今日は色々とありがとうございました」
久し振りに見た満面の笑み。日番谷は一言お礼を言うと、小走りで走っていった。
「……君の笑顔が見れただけで十分や」
少年の影が消えるのを見送って。
市丸もまた、執務室の襖へと手を掛けた。
すっかり日も沈んだ、今は夜。
報告も済んで、隊員達は其々帰路へ着く。日番谷は皆とは正反対の方へ向かい、辿り着いたのは恋人の居る隊主室。
緊張に手が震えるが早く会いたい気持ちが勝って、少し小さくはあったが中の人物へ声を掛け、室内へと入っていった。
「藍染隊長…」
「なんだい?」
名を呼び返ってきた返事に、日番谷の表情が曇る。あの時と変わらない、藍染の態度。むしろ、今の方が冷たい感じがして。
「用事が無いなら戻りなさい」
「え……」
想像もしなかった言葉。
いつも暖かく受け入れてくれる場所は、今は無い。日番谷は部屋の入り口に立ったまま、動けないで居た。
ああそう言えば、と。
突如、藍染は何かを思い出したように声を出す。
「最近、ギンと仲が良いみたいだね。今日もずっと一緒だったって聞いたよ」
「それは討伐でっ…」
「討伐ね…まぁいいさ。暇ならギンの部屋に行ったらどうだい?」
その後、何も言わなくなった藍染。
視線一つ合わせる事も無く、ただ嫌な空気だけが辺りに充満していた。
「なんでっっ……」
その空気を破るように発した声。
しかしそれは途中で止まり、変わりに聞こえた鼻を啜る音。直ぐに、小さく泣き声がして。
藍染からの反応は無し。
それなりの時間がたったと思う。
日番谷は泣き止む事無く、黙って部屋を後にした。
「ふぇっ…ぅっ…」
止まらない涙。
どうしていいのか分からない不安。
全てに身動きが取れなくて。
「日番谷はん……?」
そろそろ日付が変わる頃。
そんな夜更けに掛かる知った声。
自分が泣いているのに気づいたのか、走る様に俺の元へと掛けて来た。
そして、肌に感じる体温。市丸は何も言わずに、日番谷を抱きしめた。
更に溢れる涙。
もう止まらない。
恥ずかしい位に嗚咽も混じり。
「も…わか……ないっ」
その温もりに縋る様、日番谷も市丸へと腕をまわした。
第二話 End
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