「今日から秋休みだ。畑の手伝いや親孝行をみんな頑張ってやるんだぞ」
一年は組の担当教師である土井半助。
明日からの長期休校に浮かれる生徒に釘を刺す用、声を張り上げる。
返事は直ぐに返って来て、皆の顔を見渡しホッと一息。学級委員長の挨拶で解散となった。
土井は挨拶も済めば、名簿片手に直ぐさま教室を後にする。
引き戸に手を掛ける一瞬だけ、チラリ側に座る少年に目をやる。こちらに気付く事無く級友との会話に花を咲かせていた。
その姿に再度胸を撫で下ろし、そのまま自室に足を向けた。
いつも以上に素早くプリントを整理して、平行に身支度も済ませる。端から見ても焦ってるその姿に、流石に同室の山田も目を見開き動きを止めた。
「土井先生、何をそんなに慌ててらっしゃる」
不意な問い掛けに手を休め、あははと軽い笑いを一つ。
「いや、きり丸を待たせてるもので、つい」
春、夏と長期休校中は身寄のないきり丸を預かっていた。
今回も同様に預かると本人に伝えていた。
生徒達の身支度なんてあっと言う間で、教師の自分が門を潜る頃には生徒はきり丸だけになっていた。
静かな学園にポツリと佇むその姿に胸を痛めた。
もう二度とその姿を見ない用、夏の休校時も支度を急いだ。
それでも結果は同じで、また一人下を向くきり丸を見つけたのだ。
だから今回こそはと意気込んでいたのが相当の焦りに見えたのだろう。
笑うしかなかった。自分でも何故ここまでして必死なのか分からない。それでも、考えるより先に手が動くのだから仕方が無い。
苦笑いを向ける山田伝蔵に軽く会釈して、私はきり丸の元へと急ぎ足で向った。
「あ、土井先生ー!」
門を出れば、そのには乱太郎としんべヱの姿。
どうしたんだと問う前に、きり丸が一人じゃなくて良かったと思った。
「すまない。待たせたかな」
「待ちくたびれましたよ。あーあ、時間を無駄にしたー」
「なっ!これでもかなり急いだんだぞ!」
定番となった拳骨一つ。
痛ってーとかいいながら頭を擦るきり丸。それを見て楽しそうに笑う級友に、助けてよ!と文句を言ってみたり。
きり丸達の笑い声は、誰も居なくなった学園に吸い込まれて。暫し時が立てば、会話も底を尽き帰りを促し始める静寂。
「じゃあ僕たち行くね。またね、きりちゃん!」
「おーまたねー」
「寄り道厳禁だぞー」
「はーい」
チラリ下を見た。寂しそうに俯く視線。
それを見ない様に先を歩いた。
待って下さいよーとか言いながら素直に後に付く少年が愛しい。それが何を示すのか分からない。
情なのは間違いない。
愛情、親情、師情、なんにでもつく、情。だが、この心を燻るそれは何なのかを探る勇気を持ち合わせてはいなかった。
「先生ぇ〜歩くの速いっすよ〜」
考えに耽っていたせいで歩幅が大きくなっていたようだ。慌てて振り替えれば、拗ねて頬を膨らませたきり丸が自分を睨んでいた。
「あはは、悪い悪い」
「全くぅ〜。はい、手」
「ん?ああ、手な。はいはい」
互いに差し出された手。
離さない様に強く握って、透き通る青空を見上げてまた歩き出す。
途中、お腹が空いたと駄々を捏ねだすきり丸。
やれやれと、それでも毎度の事と慣れたエスコートで麓のうどん屋の暖簾を潜る。
美味しいと満面の笑みを見れば、疲れなんてあっと言う間に吹き飛んだ。
食事中に垣間見える、幼い子供の表情。普段だって十分子供だけど、すこし影を帯びた愁いを持っている。
過去のせいか、聞こうとは思わない辛いだろうから。
聞かなくても、側には居てやれる。
遠慮の無い無垢な表情は、紛れも無い君の素顔だから。
「腹は膨れたか?」
「はい。もう食べれません」
「……だろうな」
見事、二杯のうどんを完食。
食べ終われば日が暮れる前にと少し足早に峠を下り、たいした会話も無いまま、無事長屋へと到着した。
「ただいま」
私は誰も居るはずの無い我が家に声を掛ける。次に続くきり丸の声が聞こえないのは、ここが自分の家だと思っていない証拠。
付いて来てくれる、それだけで十分に嬉しい事なんだけど。だけどその言葉を聞きたくて、私は私の手を握る子供へと視線を向けた。
「おかえり」
「……先生?」
「きり丸、おかえり」
「……暫くお世話になります」
返った言葉は間違ってはいない。間違ってはいないが、間違っている。
違うんだ、その明らかな他人行儀。先生と生徒だけど、私が求めているのは家族としての言葉。
世話をしてやってる気なんて無いし、当然してもらってるなんて思わないで欲しい。お前の気の休まる場所、それがこの家であって私の側であってほしい。
「違うぞ、きり丸」
「何が?」
「私は、おかえりと言ったんだ」
「だからお世話に――…」
視線をそらして言われた言葉。
つまりは、本心では無いという事。そして、今言わなければならない言葉を知っているという事。
「……ずっと一緒だ」
軽い体重を抱え上げ、視線を合わせ、きり丸は困ったような顔をしたが直後顔を真っ赤にしてまた顔を反らされてしまった。
「俺、これ以上弱くなったら……本当に何も出来なくなる」
「いいよ」
「先生に迷惑掛ける……」
「何度でも掛ければいい。寧ろその方が嬉しいよ」
「変な先生…」
「今は先生じゃないからな」
きり丸の逸らされた瞳が私に返ってきた。
その真っ直ぐな視線を裏切らない自身はある。泣かせるなんてありえない。
「おかえり、きり丸」
「……た…ただい…ま」
「聞こえないぞ?」
意地悪く耳をきり丸の口許へもって行ってやる。ごにょごにょと何かを言ってるみたいだけど、聞き取れるのは息の音。
耳まで真っ赤にしてごにょごにょ続き、辛抱強く私は耳を傾けた。
「言わないならキスしちゃうぞ?」
「うわわっ!」
ん〜、と口を尖らせて小さな顔に近付いていく。きり丸は焦った様にジタバタしだし、まるで粋の良い鯛を釣った気分だ。
手で私の顔を突っぱねるが、そんな事お構い無しに首に頬に唇を添える。擽ったそうに肩を竦める姿が、恥ずかしそうに笑う姿が私の中の何かを増幅させる。
「離さない、離さないぞーきり丸ー!」
「ぎゃー先生の変態ー助平ー!!」
「この位で助平だなんて、可愛い奴だな」
「くすぐったいっすよー!」
「止めてほしいなら言ったほうが身の為だぞ」
「ぎゃははっ言います!言いますから!」
少し無理矢理感はあるけれど、如何してもその言葉が聞きたかったから。
きり丸にとっての帰る場所、そこが私の側でなければならないんだ。だから言わせたい。
「おかえり」
「ただいま、先生!」
これ程嬉しい事があっただろうか。私はにやけた顔を隠す事無くきり丸に向けた。
変な顔〜ときり丸が笑う、そして私もまた笑う。これが私の求めたもの、きり丸に必要なもの。
この先ずっと、これからも未来を共に。
今は始まりに過ぎないんだ、少しずつ、家族としての階段を踏み締めて行こう。
End
まずは家族から。
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