その手を、離さないで。

守りたいもの



何時も通りの、何時もの時間。日課と言っていいだろう十番隊舎へ通う事。愛しい恋人に会うために、早足で目的の場所へ向う。

太陽は姿を見せず、重い雲に隠れていた。今日は風が冷たいなぁ。早く二人で温まろ。
そんな事を考えながら、トテトテと軽快に進む。

「冬〜会いに来たで〜vV」

毎度の事ながら、返事も聞かずに襖を開け放つ。すると必ずと言っていいほどのお決まり文句が帰ってくる。きっと今日もそうであろう。

『俺は忙しいんだ。帰れ』と。

しかし、待てどもその言葉は返って来る事は無く。不審に思うよりも早く、僕の頭は少年を探していて。
塵一つ落ちていない整理の行き届いた執務室。彼の隠れそうな所は無い。
霊圧を辿ってはみた。この近辺には居ないらしい。副官も同様に居ないとなれば…

「召集でもかかったんやろか…」

それなら三番隊も同様の筈。
出直そう。そう思いクルリと方向転換。

「市丸…何してんだ?」

丁度、室内から廊下へと足を踏み出した時だった。目の前には眉間の皺を深くさせた恋人の姿。手には大量の書類。何時もよりも低めの声。
機嫌が悪いのは見て取れる。
後ろには、同じくご機嫌斜めの幼馴染。手には大量の書類。荒々しい溜息。
何が一体如何したと言うのか。意味の分からない市丸は、唯呆然と二人を見ていた。

「おい…邪魔だ」
「へ?」
「邪魔。部屋に入れないだろ」

下から睨み上げられ、大人しく避ける。

「…なぁ、何をそんなに怒ってはるん?」
「お前には関係ない」
「なんで?」
「これは十番隊の問題だ」

…突き放された感じがした。冷たい台詞は何時もの事なんだけど。



二人が執務机に着いて既に一時間が経過している。市丸は松本に淹れて貰った茶を静かに啜っていた。
全く持って、会話はゼロ。重たい空気が部屋を充満する。

話したいことは山ほどあった。だけど、そんな雰囲気でもなくて。
やっぱり出直そう。そう思い、ソファーから腰を上げた。


「五番隊、雛森です……」


もう少しで襖に手が掛かる。そんな時、外から声が掛けられ。
隊主の返事を待たずに、市丸は襖を開けた。
目の前には、恋人の幼馴染。泣いていたのか、目は赤く腫れている。

「雛森ちゃん…どないしたん?」

たまらず、市丸が声を掛けた。
だが、雛森は下を向き、入り口に留まり口を開こうとはしなかった。

「桃…何しに来たの」

松本が椅子から立ち上がり、声を掛ける。その顔は、至極申し訳無さそうに。

「……」

雛森の態度は変わず。
日番谷は、書類から目を離さない。

「日番谷君…」
「…大丈夫だ。お前は悪くない」
「え…」

視線は書類に向いたまま。漸く出た一言は、冷たさを感じない暖かな言の葉。

「冬…?」

首を突っ込むつもりは無いのだけれど。僕の恋人は、今は隊長の顔をしていて。幼馴染に掛けた言葉は、僕自身に与えられた事のないそれ。
理由が知りたかった。
何故、彼等がそのような表情をしているのか。何故、恋人がそのような言葉を掛けるのか。

「お前には関係の無い事だと言っただろ?」
「冷たいなぁ」
「煩い。帰れ」

目も合わせずの捨て台詞。

「傷つくわー」
「知るか」
「ほんまに帰ってまうよ?」
「二度と来んな」
「…分かりましたわ。ほんなら僕、帰るな」

カラカラカラ―…
襖へと手を掛けた市丸は、節目がちに廊下へと出た。
チラリ。室内へ視線を。
雛森が、日番谷の座る席へと歩み寄る。何かを話しているらしい…日番谷の苦笑いが見えた。
優しい目をした日番谷の手が、雛森の頭上へと差し伸べられる。そっと、子供をあやす様に撫でる手。


今、思い出した事が一つある。
それは、彼が死神になった理由。


『雛森を守る為に…俺は死神になったんだ』


朝…というか、さっき通った同じ廊下を一人歩く。気温は変わらず、冷えた風が体を翳め、冷たくなった手先を暖めようと、懐へ。
如何してあの言葉を思い出したんだろう。笑顔なんて、執務室を出たときから無い。ただ、繰り返すようにこの言葉が頭から離れず。

「あ…市丸隊長……」

自分の隊へと戻った時だった。何時も通り執務机に座っていた吉良が微妙な面持ちで此方へ視線を送ってきた。

「………??」

意味が分からないので、出る言葉も無く。

「お帰りなさい。早かったですね……」

片言の様にお決まりの言葉を。しかし、その顔は何かを探るようで。

「なんやイヅル。言いたい事あんなら言うてや」

ハッキリしない副官に促すそれ。朝から分らない事尽くめの市丸は、苛立ちを隠せない。

「そちらに座って頂けますか?」

言われるがままソファーへと腰掛けた市丸は、吉良に淹れて貰った茶を啜り一息。反対側へと座った吉良も同様に一息つく。
一時の沈黙。

「……日番谷隊長、何か言ってませんでした?」
「何か、て?」
「いや…昨日の事で…」

昨日…?

「何も聞いてへん。会話すらしてないわ」
「そうですか…」
「ええから、さっさと言ってや」

一体、何があったのか。
漸くと言っていいだろう、副官が重い口を開き話しだす。

その内容は、副官として有るまじき失態。本来なら、減給は愚か謹慎になってもいい状況だった。


酒の席に、書類を持ったままの出席。酔った勢いで酒を零し、墨を滲ませた。それは、十番隊に任された重要書類。


あの顔の意味が漸く理解できた。

「冬は優しいんやねぇ〜…雛森ちゃんの事大好きやもんなぁ〜…」

誰もいない執務室に響く、大きな声。副官は書類を四番隊に持って行くと言って居ない。

「僕にも優しくしてくれてええんちゃうんか〜…」

目を隠すように腕を当て、椅子の背もたれに寄り掛かり口だけ開く。叫んでいる間は、結構何も考えてなかったり。口を止めると、頭が回転しだして鬱になる。

彼は責任感が人一倍強い子だから。

イヅルから聞いた。
冬が総隊長に頭を下げて、許しを請うたと。飲み会をしてたのは、乱菊と雛森ちゃん。本来なら、冬には関係の無い話しなのに。副官ならば、自分のミスは自分の責任が当たり前。なのに、自分が悪いと責任を一人で背負った小さな隊長。
総隊長も流石にそれ以上は言えず、書類の再提出で事を済ませた。それでも、毎日の執務に影響が出るほどの量。先程の殺気だった雰囲気はこのせいなのだろう。

優しい子だから。
隊長だから。
幼馴染だから。
守りたい人だから。
大切な人だから。

グルグル、グルグル。
頭を回るのは纏まりの欠けた言葉の羅列。

「そう言えば…僕達って恋人同士?」

ふ、と光のように浮かんだ文字。僕の口が勝手に外へと吐き捨てる。
シン…と静まり返った執務室。やけに耳に響いた。

『お前には関係の無い事だと言っただろ?』

言い放たれたそれ。

「関係無いは、そー言う事やんな…」




膨大な量の書類に追われ、机に齧り付く事三日。頻繁に訪れる幼馴染。飯を持ってきてもらったり、茶を淹れて貰ったり。
要は一歩も外に出ていない。
完全な缶詰状態。そんな困窮を極めた書類も、何とか終った。
ふと、副官が気になり横目でチロリ。

「…ぷっ。女のくせに涎垂らしやがって」

机に突っ伏して眠る松本。分けて纏めた書類は袖机に置いてある。
ほぼ眠らずの作業。頑張ったな。そう呟いて。
ガチガチに固まった体を解す為、椅子から立ち上がる。バキバキッ、背骨が音を立て伸びた。

「……アイツ、本当に来なかったな」

窓の外を眺めて。
外は鈍い光の掛かった曇り空。同調する訳ではないのだけれど、胸の辺りがモヤモヤする。

――ガラガラ。
静かに開けられた襖は小さな少年を外へ出し、再度静かに閉められた。



ペタペタペタ。
廊下を歩く音。手には大量の書類。これを置きに行く序に様子でも見に行こう。そう考えて。
ペタペタペタ。止まる事無く歩を進める。



「それほんまか〜?」
「勿論です」
「そら面白いなぁ」

あはは。と、楽しそうな会話が近づいて来る。書類の横から小さな顔を覗かせて。

「…市丸……吉良」

目の前には三番隊のお二人。楽しそうに、顔を歪ませて。

「あ!日番谷隊長お疲れ様です!!」

やっと気が付いたのか、吉良が頭を下げてきた。

「それ、総隊長への書類ですか??」
「あ、ああ…」
「全て終られたんですね?」
「ああ」

適当な返事。吉良の言葉なんて、右から左へとすり抜けて。
ドクン……心臓が大きく脈打った。
へらへらと。僅か1メートルの距離で笑う狐。
手伝いましょうか?吉良にそう言われて。

「いや、いい。一人で行ける」

目を合わせない様に。足早にすり抜け、この場を去った。



「っ、何だよアイツ」

無意識に、廊下を乱暴に蹴っていた。

「一言も無しかよっっ」

言葉を吐き捨てて。
悲しいなんて思わなかった。寧ろ、苛立ちが先行して。
二度と来るな。なんて、何時もの台詞。会いたくない訳なんて無いのに。そんなのアイツが一番判ってると思ってた。
せめて一言だけでも掛けてくれたら。
へらへらと、先程のアイツの顔が頭をチラつく。それが嫌でブンブンと頭を横に振った。

「…俺って、餓鬼だな」

俺自身、一番嫌いなその二文字。でも、自分以外に向けたその笑顔を見るとイライラする。これを餓鬼じゃなかったら何て言うんだ?

「はぁ。ダセー…」

こんな事、一々悩んでる暇なんて無いのに。兎に角、書類を総隊長の元へもって行かなくては。



「日番谷君っっ!!」

スタスタと、再度歩き始めた時だった。後ろから声を掛けられ足を休める。

「あ?」

振り返れば息を荒げた幼馴染が立っていて。

「十番隊舎に行ったら、日番谷君居なかったから…探したよ?」
「何で探すんだよ?」
「総隊長にそれ、持って行くんでしょ?…一緒に行こ??」

真剣な面持ちで。強制的に、書類を半分取られた。

「…勝手にしろ」
「うん」

二人寄り添うように廊下を歩き、幼い少女を庇う様にゆっくり歩く、小さな少年。
そして、少女は十の字が入った羽織を握り締め、更にゆっくり。

「……お似合いやね」

二つの影を見つめる男。一言吐き捨て、瞬時にその場を去った。



君を守ると誓ったあの夜。俺の何を守るんだ?そう言われて。
確かに。僕達は自分を守る力はある。じゃぁ、僕の事必要ない??
君以外、守るものなんて僕には無いから。



守ってあげると言われた夜。俺の何を守るんだ?そう言って。
確かに。と、彼は笑った。
守られるのは、弱いみたいで嫌だ。俺は、俺の大切なモノを守りたいんだ。






ある、晴れた昼下がり。市丸と日番谷が廊下で会ってから、一週間が過ぎようとしていた。

「飯、食ってくる」
「まだ行ってなかったんですか?」
「漸く時間が空いたんだ」
「…そうですか。いってらっしゃい」

ここ暫く元気のない隊長。何で?なんて、聞かなくても判る。騒がしい狐が姿を見せなくなったから。だけど、意地っ張りな隊長は会いに行こうとはしない。
まぁ、我慢比べってやつ??子供の喧嘩じゃないんだから。いい加減、どっちか折れればいいのに。



ここ最近、食堂の閉まるギリギリの時間に一人でやってくる日番谷が目立ってきた。中には誰も居らず、だだっ広い広間にちょこんと座る小さな背中が、定番の窓際に座って外を眺めていた。

何処までも広がる青い空。遠くには大河。森林も綺麗。
尸魂界も捨てたもんじゃないな。そう思いながら。
運ばれてきた昼飯に箸を付ける。温かなご飯。大好きなから揚げ。
でも、食欲が湧かない。
カタン。殆ど手の付けられていない定食に見向きもせず、箸はゆっくりとお盆へと置かれた。

「シ〜ロ〜ちゃんっっ!!」

ボーっと外を眺めていた日番谷に、慣れた声が掛かる。

「シロちゃん言うな。日番谷隊長だろ!」
「いいじゃん。今は二人だけなんだから!!」

向かい合わせに座る様にお盆を置いたお団子頭の女の子。ニコニコと満面の笑みで椅子に腰掛ける。

「まだ食ってなかったのか?」
「一緒に食べたかったから」
「…え」
「だって日番谷君、最近一人でご飯食べてるでしょ?」
「知ってたのか…」
「勿論!」

ニコニコと、変わらずの表情。
頂きます。彼女はそういって、自分の飯に手を付けた。
美味しそうに食べるその姿。見てると、何だか可笑しくて。

「…美味いか?」
「うん。食べる??」
「いや、俺はそう言うの苦手」
「え〜…。サンドイッチ、美味しいのにぃ〜」

雛森は、両頬をプックリと膨らませ拗ねる。

「プッッ」

たまらず、噴出。

「あ、やっと笑ったVv」

思いもしなかった、その一言。

「日番谷君、笑ってる方がいいよ」
「……」
「早く、市丸隊長と仲直りしてね」
「……何だよそれ」

向き合ったお互いの視線。雛森は真剣な表情だった。
仲直り…か。別に喧嘩なんてしてねーのにな。

「ほ〜らっっ!!また眉間に皺寄ってきた〜っっ。ダメダメっっ」

身を乗り出して俺の両頬を掴む暖かな手。ぐいっと引っ張られ、無様な俺。

「おいっっ?!や、止めっっ」
「笑って笑って〜〜Vv」
「いひゃい、いひゃいっっ?!!?!」

ガタガタと、机や椅子が音を立ててながら、子供の様にじゃれ合う二人。こんなの、何時振りだろう。
ぎゃーぎゃーと二人で騒いだ。俺は笑っていたと思う。










『イヅル〜、ご飯食べてくるわ〜』


今日は目を通す書類が多かった。昼の時間なんて当に過ぎていて。だけどお腹が減った。空腹感を我慢する事も無いので、遅れながらも食堂へ足を運ぶ。
食堂へ向う道は空いていて、歩く人も疎ら。もう、やってへんかな…?そう思いながら向う足を速めた。
食堂の入り口は暖簾が掛かっており、まだ開いている事を知らせてくれて。
中へ一歩足を踏み入れた。ガラリとした空間。あぁ、やっぱ人居らへんなぁ…。人混みが苦手な僕にとっては丁度ええんやけど。

「おいっっ?!や、止めっっ」
「笑って笑って〜〜Vv」
「いひゃい、いひゃいっっ?!!?!」

居ないと思っていた人の声。聞き覚えのある、愛しい声。
僕の足は、自然と前進した。二人で来た時、必ず座る最奥の窓際へと向って。



目の前には、愛しい子。そして、彼の幼馴染。
何をやって居るのか。きゃぁきゃぁとじゃれ合っている二人。そんなせいもあるのか、僕の存在に一切気付いておらず。

誰も居なくなった食堂に、仲良く座る、男と女。

僕の考えは、間違いではなかったのか。そう、確信して。
声を掛けるつもりなんて無かった。彼の目を見たくないから。僕の目を見て欲しくないから。
そんな意志を無視して、僕の口は勝手に開いた。

「楽しそうやね、お二人さん」



お願い、どうか


振り向かないで。





気付かなかった。何時の間に居たのか。
俺の後ろで佇む市丸。張り付いた笑みは何時もと変わらず。
しかし、悲しそうに此方を見ていた。

「市丸…」

声が震える。

「いや〜…邪魔するつもりは無かってんけど」

返ってきたのは、他人行儀な冷めた台詞。

「市丸隊長っっ!!どうぞ座って下さい」

雛森は、咄嗟に気を利かせ席へと促す。それを見て、市丸はへらり、変わらず笑顔。

「ええよ。僕、隊舎戻るし。お二人さん仲良く食べててな」
「でもっ」
「折角の時間、邪魔して堪忍な」

其れだけを告げ、市丸は来た道を戻った。

如何してそんな事言うの…?
俺は、ただ呆然とヤツの背中を見つめ、震える拳を握り締めていた。

「…日番谷君」

心配なのだろう、雛森は眉を下げ此方を見ていた。

「悪い…。時間来たから先戻るな」

それしか言えなくて。
笑顔なんて作る余裕無いし、頭動かねーし。心臓が摑まれた様に痛い。何より、目頭が熱い。
顔を見られたくなくて、瞬時に背を向けた俺の名を呼ぶ幼馴染。裾を掴み、返事を待つ。
今、口を開いたら、きっと情けない声しか出ない。
暫くの沈黙。漸く諦めたのか、掴んだ手を離し溜息一つ。
俺は振り返る事無く、食堂を離れていった。





慌しい時刻は当に過ぎ、日が照っていた面影など無い。時刻は今、夜の七時。

「隊長、今日はもぅ帰りましょうよ」
「……呑み過ぎんなよ」
「やだっ、行きませんよ。あれだけ迷惑掛けたんですから…自主謹慎中です」
「そうか…」

松本が、暖かな茶を淹れてくれた。帰る前の一服。口内に広がる渋みが気を落ち着かせてくれる。
他愛も無い話をして、不必要な投げキッスをかました副官は足取りも軽く、隊舎を出て行った。
一人、ポツンと残った日番谷。視線は床を行き、暗い。

「……迷惑掛けた。か」

先程、松本が言った一言。
あの日以降、市丸は俺を避けている。あんな事が無かったら、今も変わらず居られたのだろうか?何時もの様に言った台詞。本当な訳が無いのに。
結局は同じ結果だったのかもしれない。市丸は俺の事、面倒になったんだろーな。頭に浮かんだ言葉。口に出すと、妙にリアルだから言わない。言えない。

――ぽたり。
頬を伝う暖かな雫。
マジ、ダセー。女、子供じゃあるまいし、泣くなんて有り得ない。

止まる事無く溢れる涙。着物の裾で拭いても拭いても溢れ出る。その内に段々と嗚咽が混じり、

「…ふぇっ…ぅ、うぅ〜…」

本格的に泣いた。



結構な時間、泣いたと思う。疲れた俺は、ソファーへと寝転がった。
うとうと。うとうと。睡魔が襲い、瞼が閉じ闇の中へ。
朦朧とする意識の中、求めていた人の声が聞こえたような気がした。

「…冬、泣いてたん?」

如何して市丸が此処に…俺、夢見てんのかな?



「…市丸」

求める様にでた一言。重い瞼が、ゆっくりと開かれた。

「あれ…俺、如何して…」

目を覚まし、辺りを見渡せば慣れた風景。寝惚けていても判る。
ここは、俺の部屋。しん…と静まり返った一人の部屋。
求めた温もりは其処には無くて。ポタリ、ポタリと再び瞳を濡らす、冷めた雫。

「っ、馬鹿…野郎っ…」

ソファーで寝ていた筈なのに…今、俺が居るのは自室の布団。誰かが此処まで俺を運んだんだ。
誰かが。そんなの…一人しか居ない。

あれは夢なんかじゃ無い。寝惚けながらも覚えてる。何時も俺を抱き締めてくれる、優しい腕。フワリと翳める、心地の良い香り。頬に当てられた手は暖かかった。



「…市丸」



襦袢姿で、気付けば三番隊執務室に来ていた。部屋の明かりは灯ったまま。この襖の直ぐ向こうに、俺の求める霊圧。
突如、ゆっくりと襖が開いた。下を向いていた俺はそれに気付き、顔を上げる。
涙でぼやけた俺の視界。それでも、コイツの驚いた表情は見て判る。

「っっ〜〜…、市丸っっ」

ガバッッ―…腰の辺りにしがみ付く日番谷。恥ずかしいとか、そんなの関係なかった。
大きな腕に抱き締めて貰いたくて、俺の事、見て欲しくて。俺はお前の事、こんなに好きだから。

「市丸っ、市丸、市丸っっ」

それしか知らないかのように、馬鹿みたいに繰り返す、俺の口。

「……冬」

フワリと翳めた大好きな匂い。その、求めた温もりが俺を包んで。
執務室の前で、二つの影が重なった。

「……珍しいなぁ、冬から来るなんて」
「…迷惑か」
「せやなて、嬉しいんよ。僕の事、まだ必要としてくれてはるみたいで」

ソファーに座る日番谷と、床に座り此方を見上げる市丸。先程の一言で、小さな少年の瞳が揺らいだ。カタカタと、体を小刻みに震わせ。開かれた瞳は、段々と鋭く、細く。眉間の皺も深さを増した。
込上げてくる感情に、霊圧も同調して。
渦を巻く怒り、憤り、悲しみ。押さえが利かなくて、また、泣いた。
悔しくて、でも、うまく言葉に出せなくて。落ち着いてから来ればよかった。もう少し、まともに話せただろうに。
今の俺は、嗚咽を繰り返すただの餓鬼。
市丸の手は、ずっと俺の手を握っていた。求めた筈のその温もりは、今は苛立ちを増幅させて。

「…手を、離せ」
「なんで?」
「俺は帰る。手を離せ」
「嫌やって言ったら?」

馬鹿にしているとしか思えない、市丸の態度。

「――っっ、離せっっ!!!」

勢い良く立ち上がり、手を振り払い、そのまま、勢いに任せ出口へ向う。

――フワリ。
あの香りが、また俺の横を翳めた。

「…堪忍。お願いやから、出て行かんといて…」
「何でっっ――何で必要とか必要無いとかになんだよっ!!」

後ろから覆い被さる様に抱き締められ、身動きが取れない。

「俺にはっ、市丸しか居ないのにっ…」

ボタボタ。
大粒の涙が、頬を伝い抱き締める市丸の手へ。

「会いたくないなんてっ…思ってないのにっっ」

有らん限りの声で叫んだと思う。頭なんて、動いてない。ただ、浮かんだ言葉を吐き捨てた。

「……苦しかってん」

消えそうな声で、震えた声で。
――ドサッ。腕に力が篭ったと思った途端、俺の目の前には、市丸の顔。
苦しそうに、歪んだコイツの顔。
床に組み敷かれ、固定された体。ドクン、ドクン、心臓が高鳴る。

「僕には冬しか居らへんねん…。やけど…冬は…雛森ちゃんが大切なんやろ?」
「なに…?」
「冬がここに居るんは…あの子の為や」
「如何…して…」
「君の守りたいモンは…あの子」

淡々と話す市丸。目を開き、真っ直ぐ此方を見つめる。

「……本気で言ってんのか?」

愕然とした。と同時に、悲しくなった。

「本気やったよ……さっきまでは」

本の僅か、首筋に触れるだけのキス。握り締められた手に熱が篭る。

「今は…違うのか?」
「さぁ、どうやろ?」

クスクスと可笑しそうに口を曲げる市丸。答えになっていない事への不満は、明らかに顔に出ている日番谷。





君を守ると誓ったあの夜。
俺の何を守るんだ?そう言われて。
確かに。僕達は自分を守る力はある。
じゃぁ、僕の事必要ない??君以外、守るものなんて僕には無いから。



守ってあげると言われた夜。
俺の何を守るんだ?そう言って。
確かに。と、彼は笑った。守られるのは、弱いみたいで嫌だ。
俺は、俺の大切なモノを守りたいんだ。





「俺の守りたいもの…教えてやろうか?」
「なに?」
「……お前との時間」
「嬉しい事言ってくれはるなぁ」
「馬〜鹿。嘘だよ」
「酷っ?!」

二人に漸くの笑顔が戻った。重ねた体は蜜を纏い、甘い時間を予感させる。
絡めあった二つの手は、解かれること無く、さらに深く求め合った。

End



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