「日番谷はん」
今は現世で虚討伐中。
ちょっと厄介な相手だったので、隊長二人が出立していた。
三番隊と十番隊の隊長、市丸ギンと日番谷冬獅郎。その二名。
不意に声を掛けられ、たった今切り捨てた虚を確認しながらも振り替える。
「なんだ?」
毎度お決まりの笑顔を振り撒いて、俺の側まで近付く市丸につい眉間の皺を深くしてしまった。
だって俺はこいつが苦手。何考えてんのかさっぱり分かんないから。藍染も謎が多いが、あっちの笑顔の方が落ち着く。
「今からちょっと付き合うてもらえへん?」
「え?」
「行きたいトコあんねん」
僕が話し掛けると嫌な顔を見せる少年。
今回も側に寄っただけで眉間に皺を寄せられた。
藍染はんとの関係は知っている。二人の仲を壊そうなんて考えてもいない。
ただ少しだけでも僕を見てもらいたくて。
せめて話し位して欲しくて、思い切って君を誘ってみた。
「で?これから如何すんだ?」
身の丈の刀を背負い、僕の後を歩く小さな小さな隊長さん。振り返れば相変わらずの顰め面。
そんなに嫌なら断ってくれてもよかったんに。
素直やないんはよう知っとる。せやから尚更断ってほしかった。
期待してまうやん。少しは僕の事考えてくれてはるんかなって。
でも残念、君の頭の中はあの人の事で一杯。現に今も君はそわそわと落ち着きが無い。きっと、この後に会う約束でもしてるんやろ。
「夕日が綺麗なトコ見つけてん」
「夕日?そんなの何時も見てるだろ」
「あんなもんとちゃうんや。とにかく行こ」
「??」
市丸に言われるがまま、俺は取り合えず付いて行く事にした。
ほんと何を考えてるんだ?男二人で夕日なんて。
あ、藍染も前に似た様な事言ってたな。即行、断ったけど。
「ここや」
市丸に促されるまま着いて行ったそこは、人の気配も無い崖だった。
日番谷は深呼吸を一つ、一度だけ市丸と眼を合わせた後、遠くの景色を眺めて腕を組む。
一面に広がる青い海は太陽が落ちて薄紅に染まっていて、波に揺れる影は日々の狂騒を忘れさせてくれる。尸魂界では見る事も叶わない景色。
「……いいな、ここ」
「せやろ?如何しても日番谷はんと来たかってん」
市丸は日番谷の横に並び、同じ視線で夕日が沈むのを眺め始めた。
それに気を悪くしたのか、日番谷は市丸の頭を軽く小突き痛がる顔を見てまた景色を眺める。
二人に会話は無い。
それでも落ち着く心に不思議と違和感は無かった。
「……何か考えてはる?」
「何も」
「藍染はんと来たかった?」
「………さぁな」
あら、つれない返事。
否定しないのは、そう思ってるからやろ?それなら素直に言えばいいのに。
僕の気持ちバレたんやろか?まあ、思い過ごしも良いとこやけど。
好きなんや。
好き……なんやろか?
愛してる……?
何か違う気がする。
僕は君に何を抱いてるのか。
藍染はんとの関係を聞いたとき、素直に喜べた気がする。
あの人はずっと想ってはったから。日番谷はんが霊術院生になって出会ってから、ずっと。
でもな、僕はその前から君を知ってるんよ。
藍染はんが知らない君を、僕は。
「好き……」
「え?」
「………好き……な子と来たら最高やろうなって」
「お前にもそんな奴居るんだ」
「んー、どうやろ」
何も考えずに言った言葉は他人事の様に軽く過ぎ、彼にとって僕はその範囲に入らない事だけが酷く脳裏に焼きついた。
「少しくらい気にしてくれたってええんちゃうの?」
「市丸?」
翡翠のビー玉に見詰められて、僕の頭はどうかしてしまったらしい。
その瞳全てを僕で埋め尽くして、最後は吸い込まれて消えてしまえばいいのに。
「―――ッ!」
触れた場所はカサカサに乾いていた。
小さな真っ赤な唇。
触れてはいけないのだ。
彼はあの人のものだから。
「市丸っ、イヤッ……ぅんッッ!」
止まらなかった。止めたくはなかったのかもしれない。
呆気なかった。必死に鍵を掛けていた何かが外れた様に、止め処なく君への想いが溢れ出す。
パシンッ。
静寂に乾いた音。
透通る綺麗な瞳は屈辱と涙でボロボロになっていた。
そんな表情を見たかった訳ではないのに。僕は胸の痛みに耐えられず、ただ下を向いて。
「堪忍な……」
精一杯の言葉は彼には届く事無く、その残像に一人誰にも聞こえない様に言葉を飛ばす。
閉じた門の隙間から零れた地獄蝶の鱗粉が、まるで僕の涙の様に静かに地へと落ちていった。
End
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